南禅寺金地院方丈南庭は、寛永九年(『本光国師日記』)の完成とされている。直接の関係はないにしても、江戸期における技法・作庭上の伝播を否定できない。
向って左方の亀島は、長径約三mで鶴島より低く小規模である。西北の斜石は亀頭石(先端一部欠失)であろう。気勢は鶴に向いている。鶴島に比較して特色を欠くのは、後世の損傷も手伝ってのことであろう。亀甲石が樹木(モミジ)の成長によって約三〇cm東に押し寄せられている。この島に自生した二本の樹木の内、他の一本である五葉松(樹齢八十五年)は、昨年九月の台風により転倒、岸の一部が崩れたこともあって、今後専門家による修復が望まれる。かかる意匠で鶴亀二島が構えられたことは、当庭が江戸初期をあまり降らぬものでかつ百姓庭であることをあわせ考えると重要な意味を有している。

奥部枯滝、左手前池泉立石(岩島) 中央は亀島。五葉松・モミジ二本の樹木は自生であり撤去する必要がある。
池泉中央に長さ一〇四cm、幅七七cmの舟石と、東端池汀に出舟長さ九〇cm、幅五〇cm(破損あり)の二石が配置されている。一つの池に舟石が二ケ所据えられているのはめずらしく、後者には舟着石が添えられている。

池泉(涸)中央は舟石
舟石は神仙思想に基づくもので、神仙島などに財宝を求めて航海する舟を表現したものである。東部池岸の舟石は出舟で、これから蓬莱島に財宝を求めて出航する舟姿である。前述の鶴・亀島は不老不死の霊薬のある神仙(蓬莱)島の日本的具現化であって舟石と一対をなすものである。他に岩島が三ケ所池岸近くに配置されている。

南東部景観 中央池辺に出舟石(破損)

中央は舟石 背後に鶴島(右)亀島(左)を組む。