内藤家庭園を検討する上で見逃してはならぬものに池泉周囲の盛土がある。即ち池泉周囲東南部から北部にかけてと、西北部山裾に若干の盛土が認められる。後者は盛土のみで高さ七〇cm程であるが山崩れによる土石を盛った可能性もある。(註一)東南門跡に近い盛土は高さ約一mで小規模であるが、『築山庭造伝後編』(文政十一年籬島軒秋里)真・行・草築山之全図に描かれた小盛土ともことなり、興味をそそる。この池泉周囲の若干の盛土は、江戸初期大名庭に於ける背後の大規模の築山が退化して、池泉前方に移動したと想定することはむりであろうか。
南東部盛土付近
池辺東側のわずかな盛土が貴重である。
(註一)又庭によっては、池の泥土を掘上げ放置されこのような景観を呈することもあるが、この場合は土質の調査により容易に判明する。本庭では、飛石付近の泥土がこれによるものであろう。