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(四) 枯滝石組

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 周囲目通り三七〇cmを有するモミの巨樹のふもとに、枯滝石組がある。枯滝石組は庭園背後の山畔を利用するのが、日本庭園の伝統的手法であるが、本庭はこれとは逆に山裾を削りモミを植えその中央前方に高さ九〇cm、幅一二〇cmの花崗岩でやや丸味のある石を前方に傾斜し、他に一石を小さく添えて、枯滝源流を構成している。

枯滝源流 雑草のためほとんど見えないが、モミの麓に構えた二石の傾斜石は滝を表している。(昭和四十九年九月撮影)


右 鶴島・左 亀島 奧部に枯滝を構える。滝前方の埋れ石を出し、亀島は木を伐採し亀甲石を中央に寄せる必要がある。

 このように伝統に逆らったのは、山裾は庭園造築の際既に削られていたものか、山畔が急斜面のため、作事に不都合であったとも考えられるが、おそらく当村が、山里にあるため連峰・渓谷・岩石等に施主が嗜好を示さなかったためであろう。
 古い時代、奈良や京都の貴族庭園が池泉に対して築山が少ないのは、山国に生れ育った人々が、山岳にさほど興味を示さなかったからであろう。いや美しい山国にある自分の庭に、ことさら山岳を縮景することを必要としないのである。
 池泉が海洋を表現することから出発したのに対して、築山は当初山岳の造形を目的とするものではなく、池を掘るための余剰土壌を風致的に積み重ねることによって、おのずから発達した(註一)とされる所以である。
 前述の如く、枯滝部が格別背後の山裾を利用することなく、平面構成とし、極めて省略化した源流を構えたことは、立体感に乏しいとの批判をまぬかれないであろう。時代の影響もあろうが、築造にあたり、施主の脳裡には、自家の不老吉祥を願う気持ちが旺盛であって、滝や渓谷に囲まれた屋敷内にこれを再現することを好まなかったからではないか。かかる施主の意向を踏まえての施工であろう。
 本庭は座敷からの座視を第一とするものであるが、拝石に佇んでの枯滝源流、前方へのそのわずかな傾斜は、簡素ながら充分な気勢を感ずる。
 (註一)『日本の庭園』 吉永義信著 二四頁 至分堂 昭和三十三年六月