この庭が造られた頃、内藤家は、山村の一庄屋にすぎない。倹約令下にあって、百姓屋敷に庭が作られ、三百年後の今も旧態を保つことは、極めて稀なことである。昭和初期建物は解体され、跡地は畑となり、戦後は農地改革の対象となったが、耕作者から辞退返還を受けたという。(註一)内藤家旧屋敷への敬意によるものである。
県教育委員会文化課では、未指定文化財総合調査の一環として、平成三年度から、西桂氏に山口県古庭園調査委員を委嘱して三年計画で調査中である。他の文化財指定に比較して、古庭園調査は、随分と遅れており、宗隣寺(宇部市)と常栄寺(山口市)が国指定、毛利邸(防府市)が県指定のわずか三庭である。普賢寺庭(光市)や大照院庭園(萩市)の県指定を関係者にお願いして何年になるであろうか。
下松市には昨年八月十四日西桂氏を中心とする調査が行われた。調査報告書を拝見していないが、これを踏まえて、再度本論を検討し、文化財としての位置づけをしたいと思っている。
(平成三年十二月)
(註一)内藤善夫氏より聴取
母屋前方置石・右の横石は転倒石か。周辺に埋れ石も確認される。
内藤家付近『地籍図』
内藤氏庭園位置図 『下松市市域図』(昭和50)に加筆