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(三) おわりに

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 内藤家池泉庭(涸)は、やや円型で当時の農家庭としては広く、又出島等護岸修景に変化をもたせ、礼拝石からは奥部に鶴亀二島をすれちがいに構えている。これは常栄寺池泉庭において既に指摘されるところで、同庭の地割手法に共通する。鶴島の羽石は薄手で派手な大石を使用しており、門(跡)横の小丘、これに続く池泉前方のわずかな盛土等、これらと内藤家の経緯を総合するとほぼ江戸初期(末)と推考され庄屋庭としては県内最古の貴重な遺構である。

中央に鶴亀島手前に舟石を据える (整備後)


鶴島局部 中央羽石・左鶴首石 (整備後)

 今回の整備は二本のモミジを取除くことにほとんどの時間を費した感があるが、樹勢旺盛なモミジをそのまま放置すれば根の成長により周囲の石組を壊し後世撤去に多大な時間を要するのみならず往時への復旧を困難にせしめるとの判断によるものである。
 鶴島の前方護岸石組は壊れたままとし池も涸れたままであるが、導水は大雨の際竹のトヒによる調節が必要であって無住のため今回はそのままにした。又鶴島前方護岸も壊れているが石は保存されているのでいつの日かこれらの復元を行い池に清澄な水をたたえたいものである。完璧とは言えないまでも今回の調査・整備によって一応の保存処置は完了したものと考えている。雪の中ボランティアで終始協力を下さった方又遠方より調査・指導に奉仕ご尽力を下さった山口県古庭園調査委員の西桂先生のご厚情に対し、古庭園に関係する者の一人として厚く御礼を申し上げるものである。十六日おそくまで監督をされた先生のお住い近くの神戸は、明けて十七日午前五時四十六分大震災が発生し六千四百余人の犠牲者を出している。幸にして被害はなかったとの連絡をいただいたが、ご家族にも大変なご心配をかけたものである。
(平成十一年十月記)


中央亀島・右鶴島・左下舟石(整備後) 昭和四十九年の整備前の写真(前章)と比較されたい。