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(三) 一本松寮(新町)宝篋印塔基礎と日天寺層塔の笠・軸部

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一本松寮境内(昭和四十年頃)

 下松市に実在した石造物中、紀年銘記載最古のものは、一本松寮の宝篋印塔の基礎である。『山口県の石造美術』内田伸氏(昭和六十年)には次の如く記されている。
    永正十五年    (一五一八)
    妙中禪尼
     月八日  
       基礎だけである。
 右の石造物を『下松地方史研究』第九輯(昭和三十九年)に宝城興仁氏は
    永正十五年
    妙仲禅 
     月八日
  この永正十五年(一五一八)の文字は、磨滅毀損が甚しいので断言できないのであるが、大体において間違いないと信じている。
と記されている。しばらくして、宝城興仁氏から右についての話を聴き新町の一本松寮に行ったが、既に造品は実在せず誠に残念なことをしたと思っている。更に古いものの一つに日天寺観音堂横の層塔の一部(笠と軸部)がある。この方は遺品(一部)は実在するが、紀年銘が不在である。内田伸氏の話では、鎌倉期のものと推定される。但し軸部四方に刻銘の梵字は同時代であるが聖・武・天・王は後刻との見解である。注意を要するところである。

日天寺観音堂石塔一部 鎌倉時代(笠と軸部のみ)