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(八) 護摩炉と茶碾臼

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 密教に於いては、堂内護摩壇の中央に炉を据え、ここで護摩木を焼く。炉は火熱のため短期間で廃棄されるのが常で、古遺品の残るものはまれである。上に掲載した護摩炉も、平野石で粗雑な造りであるが古遺品ではなく、明治頃のものであろう。一部端に突出部があるのは、油器である。

護摩炉(年代不詳)河内八丈

 茶碾臼は、上臼を回転して上臼の穴から入れた茶葉を挽くため下臼には溝がついた縁が造られている。これは粉茶(散茶さんちゃ)をつくる道具であって、作った粉茶を袋に入れて煮えたぎる茶釜に入れる。このようにして焙じ少しの茶葉も倹約したのである。現在でも客人に「粗茶ですが」と言わず「粉茶ですが」と云う地方があるのは、その名残りである。調べてみると、どの臼も石臼の歯が摩滅してほとんど存在しないのに気付く。ご苦労多き藩政時代の生活を伺う生きた資料である。

茶碾臼