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(一〇) 幟台

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 幟台は、細長い布の端に竿を通して立てるものであるが、石の台が造られたのは、江戸末期のことで、市域内における在銘幟立一八基の内では、降松神社馬場のものが最も古く、次が米川妙光寺文化六年(一八〇九)のものである。降松神社表参道の幟台は次の通りである。

降松神社参道幟台 文化五年(一八〇八)

    石質  花崗岩
    地上高 三尺四寸
    幅   七寸五分
    奥行  八寸
  銘文
   (向って右側臺石正面)
             世話人
             出合磯部孫四郎
   奉寄進幟臺     中戸原磯部喜平
               原田丈七
             谷 藤田昱七
   (同横)文化五戊辰年
           九月吉祥日
   (向って左側臺石正面)
             世話人
   奉寄進幟臺     大河内清木今七
             八口 河村新吉
                磯部宇平
   (同横)
       鷲頭寺
         惠實代
 (註)世話人のうち清木今七はのちの清木善右衛門である。尚当家に関する旧藩資料は、信友明氏(西宮市門戸西町)のお世話で下松市立図書館資料室にコピーが保管されている。又『来巻郷土史』『山口県と来巻村の地祖改正』『来巻村の水方帳』等は信友氏の労作である。
 市域内に於ける江戸期在銘のものを古い順に数基記しておきたい。

幟台造立年代西暦基数所在地
文化五年(一八〇八)二基降松神社(若宮)
文化六年(一八〇九)二基妙光寺(米川)
天保六年(一八三五)一基松心寺(向八口)
天保十年(一八三九)一基桃林寺(切山)
天保十二年(一八四一)一基桃林寺(切山)
安政四年(一八五七)二基松尾八幡宮(宮本)
安政五年(一八五八)一基松心寺(向八口)


米川妙光寺幟台 文化六年(一八〇九)


松心寺(本堂建築中)幟台 天保六年(一八三五)


桃林寺幟台 天保十年(一八三九)

 この遺品から察するに江戸末の化文期までは、幟台は木材で間に合わせていたのであろう。