神輿台造立年代 | 西暦 | 基数 | 所在地 |
安永八年 | (一七七九) | 三基 | 末武八幡通り |
寛政五年 | (一七九三) | 一基 | 生野屋西村 |
慶応二年 | (一八六六) | 三基 | 松尾八幡宮(宮本) |
花岡八幡宮神輿台 安永八年(一七七九)
生野屋西村神輿台 寛政五年(一七九三)
花岡八幡宮前方のお休台は次の通りである。
石質 花崗岩
地上高 二尺四寸四分
幅 四尺一寸
奥行 四尺一寸
銘文
安永八歳
奉獻林亦五郎
亥九月吉日
旧河内村には現在お休所が二ケ所あり、この内一九八番地通称宮ケ浴の方は、かつての舞堂跡で弐間に六間の茅ぶき堂が在ったことが『地下上申』寛延二年(一七四九)から明らかであって、現在もこの附近を「マイドウ」と称している。したがって神輿台を設けたのは降松神社になってのことである。
他方妙見橋手前一六八番地の方は『周防国都濃郡妙見山之略圖』嘉永七年(一八五四)や『絹本淡彩妙見社参詣圖』文化五年(一八〇八)にお休台が描かれているので、相当に古くから存在したことが明確である。ただ現在の神輿台は、明治二十年二月岩本貞一の奉納せるものである。前述のように市内に於いても安永八年(一七七九)以前の休台遺品が存在しないことは、石造りの休台が、比較的新しいことの証しである。