(一) 生野屋越妙見道
石質 花崗岩
地上高 二尺三寸
幅 七寸
奥行 六寸五分
銘文
妙見社道
元治元年丑五月吉日
一九丁生野屋村 石津栄吉
道標生野屋越妙見道十九丁 元治元年(一八六四)
道標生野屋越妙見道十三丁 元治元年(一八六四)
(二) 来巻村妙見道
石質 花崗岩
地上高 一尺五寸
幅 四寸五分
奥行 四寸二分
銘文
妙見社道
戊辰ノ年
熊毛・来巻妙見道道標 戊辰ノ年(年号不詳)
(三) 同
石質 花崗岩
地上高 一尺四寸
幅 五寸五分
奥行 三寸五分
銘文
妙見社道
宮田傳左エ門
年代は彫られていないが、宮田傳左エ門は獄妙見社元禄十六年(一七〇三)の石室に畔頭として記されているので、ほぼこの頃の造立と思われる。
河内村では、中宮拝殿前方に「是ニテ十八丁是ヨリ上宮三丁余」寛政元年(一七八九)の道標が最古である。現在馬場から、中宮に至るまでの表参道十八丁(一丁置)の道標は、大正八年の建立である。かつては妙見社への遠近からの参詣者多く、そのすべてが山道である。そのため道標の必要が特に生じたのであろうが、このことについては、妙見道の章を参照されたい。
降松神社中宮道標 寛政元年(一七八九)
信仰と直接関係なきものとしては、河内村より徳山・下松方面への道標がある。
材質 花崗岩
地上高 一尺九寸
幅 四寸八分
奥行 四寸八分
銘文 右 とく山道
左 下まつ道
道標 右 とく山道 左 下まつ道 年代不詳
年号不在であるが江戸末~明治初期頃であろう。かつては、字八口二七四八番地の東端に在ったが、現在は他に移されている。