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(一九) 道標

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 下松市に於ける道標について特筆すべきは、妙見道の道標である。妙見社への参拝道は、生野屋・山田・来巻・三井・浅江・東豊井・末武の各方面からの道があるが、その内、道標の遺存しているものを数基挙げておきたい。
 (一) 生野屋越妙見道
    石質   花崗岩
    地上高  二尺三寸
    幅    七寸
    奥行   六寸五分
  銘文
   妙見社道
   元治元年丑五月吉日
   一九丁生野屋村 石津栄吉

道標生野屋越妙見道十九丁 元治元年(一八六四)


道標生野屋越妙見道十三丁 元治元年(一八六四)

 (二) 来巻村妙見道
    石質   花崗岩
    地上高  一尺五寸
    幅    四寸五分
    奥行   四寸二分
  銘文
   妙見社道
    戊辰ノ年

熊毛・来巻妙見道道標 戊辰ノ年(年号不詳)

 (三)  同
    石質   花崗岩
    地上高  一尺四寸
    幅    五寸五分
    奥行   三寸五分
  銘文
    妙見社道
     宮田傳左エ門
 年代は彫られていないが、宮田傳左エ門は獄妙見社元禄十六年(一七〇三)の石室に畔頭として記されているので、ほぼこの頃の造立と思われる。
 河内村では、中宮拝殿前方に「是ニテ十八丁是ヨリ上宮三丁余」寛政元年(一七八九)の道標が最古である。現在馬場から、中宮に至るまでの表参道十八丁(一丁置)の道標は、大正八年の建立である。かつては妙見社への遠近からの参詣者多く、そのすべてが山道である。そのため道標の必要が特に生じたのであろうが、このことについては、妙見道の章を参照されたい。

降松神社中宮道標 寛政元年(一七八九)

 信仰と直接関係なきものとしては、河内村より徳山・下松方面への道標がある。
    材質   花崗岩
    地上高  一尺九寸
    幅    四寸八分
    奥行   四寸八分
  銘文 右 とく山道
     左 下まつ道

道標 右 とく山道 左 下まつ道 年代不詳

 年号不在であるが江戸末~明治初期頃であろう。かつては、字八口二七四八番地の東端に在ったが、現在は他に移されている。