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(二三) 石幢

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 石幢の形式としては、幢身と笠のみの単制のものと、幢身(竿)の上に中台・龕(がん)部のある複制のものとがある。我国では、鎌倉時代から出現しているが、南北朝頃からは、六地蔵を彫った(六地蔵石幢)ものが多い。岡山県上房郡有漢町の六面石幢は嘉元四年(一三〇六)刻銘の遺品として有名である。複制の場合石幢と石灯籠の姿はよくにているが、石幢は火袋がなく、竿に節がなく、笠にはわらび手がない。
 石幢の遺品は普門寺のものが市内で唯一である。
 普門寺の石幢は次の通りである。
 宝珠は請花を有し笠は四角形の簡素なものである。龕部は高一尺で幅は上幅八寸九分、下幅八寸六分、若干上幅が広く前面、両側面の三面に各二仏(地蔵)を彫っているが龕部正面の下部には特に請花を刻み、その上に立像二体が彫られている。側面に請花はなく、裏面には何も彫られていない。幢身は丸形で基礎は四角、中台は存在しない。

普門寺石幢 元禄十二年(一六九九) (但し幢身銘文)


普門寺石幢実測図 (正面)

 幢身部に次の刻銘がある。
  元禄十二己卯八月廿五日
      小本弥兵衛
      六十一才 立之
 県内では、赤間神宮の石幢の幢身に天正十年壬午三月十八日敬白の年号がある。『山口県の石造美術』で内田伸氏は「年号のある石幢としては、県下唯一のものである」と述べておられるので元禄十二年の年号は注目されるが、幢身が円型であること、笠・龕部・基礎の石質が宝珠・幢身とやや異なるのが気がかりである。