自然に産する石は、古くからいたるところに利用されている。石井手もその一つである。セメントの普及により逓減しているが、森崎(古くは岩崎)に築かれた石井手は、広大な田圃を潤す野面石の立派な井手であり、これより下る用水路の分岐点には、今も小井手の地名が残っている。(本誌切戸川河川敷寺迫川・大谷川付替説の項参照)現在は田圃の減少により不要となり平成に至って取除かれた。
米川下谷の石橋は、大正五年十月の建設である(欄干標柱)江戸時代になって、中国からアーチ式の橋台を設ける眼鏡橋の工法が輸入された。この工法は九州には比較的多く、山口県内ではめずらしいものである。現在も下松鹿野線として頻繁に使用されているため、橋脚下部にセメント補強され、上部にも盛土されている。

米川アーチ式石橋