ビューア該当ページ

(一) はじめに

223 ~ 223 / 541ページ
 昭和三十五年頃旧河内村に於ける水車場の跡を調査し、あわせて井堰から水車場に至るまでの車溝(水路)を分間図(六〇〇分の一)に記入する作業を行った。かつての水車敷の正確な記録保存の措置を講じたいと考えてのことである。
 現在では社会開発の進展にともない溝の埋立ては容易になり、河内村に於ける車溝は、すべて跡形もなく埋立てられ、関係者も乏しく、水車の位置すら確認しがたい。しかし二十年余り前までは、水車廃止後もほとんどの車溝は昔のままに放置され、又埋立てられた数か所も一部に痕跡をとどめ、又は関係者の証言により、その位置を正確に記録することが可能であった。
 本論は勿論右の調査をもとに記すものであるが、本章では、車溝や水車敷の図示は行わず、明治大正期に於ける旧河内村の水車場の概略をさぐるにとどめたい。

水車の歯車(菊)