まず第一に水番表の作成により、田地を六分割し、給水を当番制とするものである。即ち田地を初番朝、初番夜、中番朝、中番夜、乙番朝、乙番夜の六組に分け、順次水番が割当てられている。したがって例えば、初番朝組の水番は、四日目に次の給水を受けることとなる。この繰り返しである。但し割当開始の前日の午後は、お取越と称して、最終乙番夜の配分とされ、給水の公平をはかる配慮がされている。
右に於ける該当者は、朝番の場合、朝手の平の皺が見えはじめた時刻をもってはじまり、見えなくなる時刻をもって、次の番とする習慣である(但し最近は、朝五時~夕方四時までに変更)。かつては、肥松の明りをたよりに早朝暗い内から田に行き、じっと手の平を見て夜の明けるのをまったという。雨降り前の暗い朝は、前番者へ若干の水を譲ることとなる。
次に最も重要な問題は、途中水路の分岐点に於ける分流、即ち目的地に於ける入水量を決定する板幅の問題である。単純には各水路の灌漑面積(田)に比例して板の水路幅を定めたらよいと考えられる。
しかし田地それぞれの土質、高低による水もちに差異があること、水路は石組による不完全な溝のため、遠距離(下流)ほど水漏が多量であることも軽視できない。逆にこの水漏を受ける低位置の田もある。水路のすぐ下の田がそれである。かつてこの地方でセメントが使用されはじめた頃、水路の側溝(横面)はセメントを使用しても良いが、底面は使用が厳重に禁止されていたという。古くから漏水を考慮の上、水幅が決定されているからである。これは実質的には、水路の水漏を水利権の一部として認めていたこととなる。更に分水地点の水路の上下の勾配は、入水量を大きく左右し、又水路の横の角度によっても、溝板幅に比例する水量が流入するとは限らないであろう。(註二)

写真右側は途中の水路字中井手付近
これらを考慮の上、入水幅は、実際の畝数ではなく、経験による一種の水利権上の田地面積を別に作成(実際とことなることから「水むね」と称す)し、これによって次のような溝幅の配分を行っている。先に掲載した溝板所在地図にあわせて水番・板幅等を示すと次の通りである。
水番・水むね数・溝板幅一覧表 | |||||
水番 | 溝板所在地 (地図参照) | 下流に向かって右側 | 下流に向かって左側 | ||
水むね数 | 溝板幅 | 水むね数 | 溝板幅 | ||
初番朝 | ロ | 八反一畝〇歩三 | 一尺六寸六分七 | 四畝 | 三分四 |
〃 | ホ | 七反四畝〇歩三 | 二尺三寸七分五 | 七畝 | 二寸二分四 |
〃 | ヘ | 七反四畝〇歩三 | 一尺九寸三分四 | 七畝 | 一寸六分五 |
〃 | ヌ | 一反九畝 | 五寸七分三 | 五反五畝〇歩三 | 一尺五寸〇分七 |
〃 | ル | 八畝 | 五寸 | 四反七畝〇歩三 | 二尺九寸四分 |
〃 | オ | 二反四畝〇歩三 | 八寸 | 二反三畝 | 七寸六分三 |
〃 | ワ | 七畝 | 三寸二分六 | 二反三畝 | 一尺〇寸七分三 |
初番夜 | ハ | 四反九畝一歩 | 二尺〇寸二分九 | 九畝 | 三寸九分一 |
〃 | ホ | 二反八畝一歩 | 一尺四寸九分三 | 二反一畝 | 一尺一寸〇分六 |
中番朝 | ホ | 七反四畝〇歩五 | 二尺四寸六分七 | 四畝 | 一寸三分二 |
〃 | ヘ | 七反三畝二歩五 | 一尺八寸一分二 | 四畝 | 九分七 |
〃 | ト | 六畝 | 二寸〇分二 | 六反八畝〇歩五 | 二尺二寸九分七 |
中番夜 | イ | 二反二畝 | 一尺四寸八分六 | 一反五畝 | 一尺〇寸一分三 |
〃 | ニ | 一反五畝 | 一尺一寸六分六 | 七畝 | 五寸三分四 |
〃 | ホ | 一反二畝 | 二尺〇寸八分 | 三畝 | 五寸二分 |
乙番朝 | ヘ | 六反八畝 | 一尺七寸 | 八畝 | 二寸 |
〃 | ト | 六反 | 二尺二寸一分 | 八畝 | 二寸九分 |
〃 | リ | 一反五畝 | 七寸四分四 | 二反七畝 | 一尺二寸五分五 |
乙番夜 | ト | 一反二畝二分五 | 六寸〇分一 | 四反〇畝二歩 | 一尺九寸 |
〃 | チ | 三反三畝二歩 | 一尺六寸五分五 | 七畝 | 三寸四分四 |
(所在地は地図を参照のこと) |
右の水番表による割当配分即ち板幅・実際の灌漑面積等に差異があるのは、前述の事情を考慮してのことである。経験によって作成された流入幅は、つい最近まで絶対的なものとして定着し踏襲されていた。この水面下に埋められた幅木の取替えには、必ず双方が立会う習慣である。
この方法で充分管理すれば、普段の年は稲作に必要な水が給水され、雨量の少ない年は灌漑下の田はほぼ同時に乾燥状態を呈するというから不思議である。したがってひどい旱魃の年には、百姓はそれぞれに耕作地の一部のみを作付け(あるいはのち一部を放棄)することとなる。飢えを凌ぐためと、わずかなモミ種を残すために。
前述の如く、溝幅の分割は複雑である。このような事情は計算によって求められるものではない。経験と種々の歴史的経緯を経て出来上がったものであろう。これらのことが、成文的規約を欠き乍らも、村の掟として永年にわたって守られてきたことに注目すべきであろう。換言すれば、これらは立派な慣習であり、飢えをしのぐための村最大の不文律なのである。
(註二)
他に一つ調査中、水利権の中には、買入れたものもあるとの証言があった。水路の補修等に多額の費用を要した際の醵出によるものか、あるいは水利権放棄者の権利を購入したものか注目される発言であるが、明確な解答は得られなかった。事実とすれば話は一層複雑になるが、いずれにしても休耕田による水利権放棄はごく最近のことであり、又水利権の購入話は何かを誤り伝えたのではなかろうか。