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(二) 西念寺北川の河川屈曲

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 最近は、河川改修によりややゆるやかになったが、字八口と高根の間(西念寺の北側周辺)は、確かに直角に曲がっていた。(前頁写真・第2図参照)この付近を通称神田淵と称し、水は青くよどみ、夏は子供に水泳ぎの場を提供していた。ここは字高根の尾根続きの地で、川底は岩盤でおおわれ、その一部は水面上にも突出し、私が子供の頃は、一の岩・二の岩と称して格好の飛込台であった。この岩盤に突当たった濁流が、南に屈曲して流下したのである。切戸川では神田淵の他に、えんこ淵(大河内)・八間淵(出合)があるが、いずれも山や岩盤に当って流れをかえ、淵となったものである。河川改修の際、取り除くことが困難な岩の一部は、現在も石垣や水面上に健在である。突然の河川の曲折を不自然とする説は古くからあり、「神田という長者が自分の田圃へ水を引くためにした」などの逸話もある。灌概説も神田姓も架空の作り話である。伝説はさておき『下松市史』も、いつの時代かに人工による可能性を示されたようだが、山間にあって古代河川の氾濫による流路変更はあっても、河川の曲折を人工的とすることは難解である。この幅広い岩盤の存在を知る者にとっては、河川の曲折はいささかも不自然ではない。突出した山裾の岩盤に当って切戸川の水が流れをかえただけのことである。著者は、川底一帯に広がる岩盤や現況をご存知ないのではなかろうか。

豊井村他字別図(明治20年)に加筆作成 (2図)

 『下松市史』に記されるように古い時代仮に大河内橋から殿ケ浴橋まで約八〇〇m(幅一六~二〇m)の長い距離を人工的に開掘したとして、それが何の役に立つであろうか。又工事にいかほどの労力を要するであろうか。仮に行ったとすれば、仁徳陵に匹敵する大工事である。