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(四) 低湿地、大みどろ・堤

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 『慶長検地帳』(一六一七)豊井村の項には、石丸堤・内堤・堤田・中堤・現堤・外堤・神田堤・小堤・丸毛堤等多くの「堤」(どて)の付く地名が記載されている。早くからの干潟開作を地名として遺存するものである。又明治二十年の字別図(第2図参照)にも、現在の下松中学校・日立病院・日立宮前グラウンド・大正宮付近には、丸堤・内堤・堤田・外堤・神田堤等開作地・湿地帯を意味する地名が集中し、現在も地名として健在である。大みどろは大水泥の意で開発が遅れた地であろう(註一)。いずれも湿地、低地ではあるが、古川をのぞき旧河道を意味するものではなく、堤を作っての干潟開作による地名である。
 開作は、石垣による防潮堤防を組み内部に土盛りを行い堤の一部に排水樋門を構築することとなる。引潮には板戸を上げて排水し入潮には、逆に降下して海水の侵入を遮断する。県内では平生に大型の南蛮樋の遺構が現存し、下松では「樋の上」と称する地名が中市の上に存在する。又、開作には樋門が現存している。

平生の南蛮樋 約二百七十年の長い間開作農地、塩田、家屋を守ってきたが、県内南蛮樋で残ったのはここのみである。


下松開作の樋門 (昭和三十年)

 (註一)『下松地方史研究』 第十五輯 宝城興仁