寺迫川は、最近の都市計画により地下に改修されたが、大谷川下流字中豊井から字磯地にかけては、現在も明確に天井川の地形をとどめて貴重である。明治二十年の地籍図では、この付近で川幅二・五mに対し土手幅四mを有している。現在の地形から観察すると字中豊井九八四番地の河川屈曲付近からの付替のようである。

天井川(その一) 大谷川は現在も周囲の屋敷(左上)の方が川底より低い所がある。

天井川(その二) 大谷川は川底より周囲の屋敷の方が低い。(左上の屋根に注意)

天井川(その三) 屋根に注意
『御蔵本日記』寛永六年(一七〇九)六月二日の項に
「磯部由介豊井之開作川付替候儀願之通被仰付候、依之新川堀申候、就夫小島開作土手石垣六十間余仕候敷祢太」(以下略)
と記され更に、小嶋開作の土手唐樋の付替のため米七石五斗七升七合五勺、人力一〇一〇人役、銀一二〇匁余りを要したことが同日記に見られる。(註一)場所が判然としない憾みがあるが、いずれにせよ、このようにして、小河川は干潟開作のため付替えられていたことが明らかである。(但し古川の地名は寛永六年(一七〇九)以前に存在しているので、寺迫川はそれ以前の付替である)
(註一)『下松市史』三二二頁