「妙見さまには、鳥居はあるが、もともとお寺で、神主さんは、旧藩時代中宮のお社には一切手が付けられだった」「奥殿には一歩も入れだった」「お祭りのときも神主さあは神楽だけ」このような話を聞いて育ったのは、おそらく私が最後の世代であろう。度々聞いたせいか折にふれては、この話が思い出された。話の通りであれば、「神官僧侶の共同勤式」いや「神仏習合」も「社号改号」も否定されることとなる。何分百年を経過しての又聞きで当にはならないが、私の家は旧藩時代妙見社最後の宮司明範の実家であり、明範の一代前には、神主の原田家へも嫁いでいた。このような話の中には、時折郷土史研究の資料となる貴重な伝承もある。本論は右の話に史料的裏付けを行ったつもりであるが、充分とは言えない。お叱りを戴ければ幸である。
(平成六年十二月)
現在の中宮本殿
降松神社 中宮拝殿