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(五) 三井村妙見道

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三井村・浅江村妙見道 『都濃郡河内村明治二十年地誌』

 三井村には現在も妙見所と称する地がある。『風土注進案』には、妙見所ハ北辰妙見影向之地なるに依て地名に唱侯由申傳候と記し、妙見縁記として
  前略『畢竟國常立尊一體分身の尊靈にして、妙なる光を見〓し玉ふに依て妙見と神號し崇め奉るなり曾聞傳所有、往古當山の巓森々たる樹上に光彩赫々として明星降臨し玉ふを邑民來拝し、北辰影向の靈地たりと稱し、此所を妙見所と唱來れり、』
と収録している。ここでは国常立尊と称しているが、光井村と同様星の降臨を唱えるものである。いずれも後世の伝承ではあろうが、光市域に妙見降臨の伝説が二ケ所に存在することは、妙見史を検討する上で重要なことと言わねばならない。
 三井村妙見道は、仏頂山満願寺西の浴より入る。山越えすれば、河内村の成川に近く、現在も成川には、この満願寺門徒が数軒存在している。三井村からの妙見道は、全くの山越えで、ほぼ北西の方向に進むと途中は、険しい山坂である。山頂に至ると尾根伝いとなり、黒岩山・綾ケ谷山・大平山と続き、戦前は、この間の尾根は二間余りの火道が伐り払われていた。黒岩山の北は、河内村の成川であり、大平山から見ると北が聞庵、南が吉原谷である。山の急なところは、地形に順応し乍ら少し下を通るが、山頂に登るといずれも景勝地である。大平山を過ぎると、まもなく来巻村からの妙見道と合流し、尾根づたいに中宮に至る。

成川妙見社 現在は鳥居と石の祠堂のみである。