度々述べるように星信仰は、天体の原理を地上の政治権力に付会せしめたものである。権力者は天子の貴さを天帝に比し、全天の星がまわりを廻るその姿を理想とした。その後中世密教による習合・支配があり、ついで民間信仰にまで普及するに及び、延命・招福・豊穣を願う一般信仰に変貌している。又社寺の中には、光市域の妙見社のように密教支配の枠から外れたものも多いが、千数百年の間妙見社が共鳴を受けたことは事実であり、あるいはこれを受け入れる土壌が存在したからであろう。
さて遺存する石の道標は、いずれも江戸時代右のように変貌し民間信仰となり、有名社寺への物見遊山が流行した時代のものであるが、しかしこれをもって妙見道の起源とすべきではない。その発祥は、やはり中世豪族の勢力と信仰に起因するようである。即ち領主大内氏による妙見信仰の威圧的高揚が、この地に放射線状の妙見道をつくったのではないであろうか。ここに諸豪族による村落の宗教風土が定着し、多くの妙見を祀り(地図参照)降臨伝説等種々の神話を生む結果となり、のち、豪族滅亡後も、信仰と娯楽の一体化現象により、妙見道は近世・近代へと受け継がれたのである。
(平成八年十二月)
大河内村より妙見道道標
浅江村妙見道道標 光市文化センター所蔵
生野屋妙見道十四丁
生野屋妙見道道標十三丁
生野屋村妙見道道標十九丁
若水(亀池)道標