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(七) 下松公園と森崎山

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 旗岡山の西方現在の下松公園(註一)の南東斜面上(標高三三m)に、日常雑器とは不釣り合いな輸入陶磁器が出現している。この遺構が狭小で高地であること等の理由から、この地を鷲頭氏の出城か、見張所と推測されている。(『都町北遺跡調査報告書』昭和五十九年)この地と同様記録は今日に伝わらないが、これに隣接する森崎(岩崎)山を検討資料として紹介しておきたい。(第4図)

下松公園山頂 古墳跡・現在の星の塔の所である。 (昭和五十年頃)


森崎山山頂部攻略図 昭和33年2月調 (第4図)

 数年前バイパス工事により、大きく削られて往年の姿をとどめないが、この地は字岩崎と称して、標高四一m、位置は白坂山から南へ一、三七〇mで、背後は下松公園に接し、旗岡山へは南東へ九四〇mの距離にある。北は切戸川に接して断崖の傾向を示し後部(南)は垂直に削られ、既に『慶長検地帳』(一六一七)には岩崎の地名となり現在は森崎山と称している。
 山の頂上は、平坦であるが、西豊井村『地下上申』寛保元年及び『分間図』明治二十年にはいずれも山林である。ただ上部の平坦地は、戦中戦後一部が耕作地として利用されており、この頃開墾追加された可能性もあるが、周囲の壇床は中世防備遺構のように思われてならない。所によっては、幅半間程のヘビ状の平坦地に、上下に高さ一間余りの畦畔を有する処もあってとうてい耕作地とは考えられない。東側の石垣は後世農耕用の構築であるが、西側から北にかけての段は(石垣は不在だが)要害遺構と見るべきであろう。中央三尺高の高地は櫓(やぐら)跡であろう。
 鷲頭氏の見張所か又は一支城と推測している。参考までに、簡単な図面(第4図)を紹介しておきたい。
  (註一)下松公園の地を旗岡山に包括して一つの城郭とする見解がある(『未指定文化財総合調査報告書』昭和六十年山口県教育委員会)