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(五) 主圖合結記

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『主圖合結』七之八 周防国徳山の図

 他の資料として、『主圖合結』七之八に周防徳山の項があり、居城の図が描かれている。三方を山で囲まれた地形や南側前方の東西切岸二壇(『旧記抜書』)からこの絵図を下松時代の居城とする見解もあって注目されるが、後世の単なる想像図のようである。図には南側に「此長六十八間」と記されるが現地と符合せず、又「本丸平地ヨリ四十八間高シ」とされているが、本丸を四十八間の高さに構えたとすれば、それは城郭(山城)であって、不合理な面が多い。又次の如き前書がある。
  周防徳山
    當國者大内義隆領之而居山口城其
    後大友三郎義長領之後毛利家領之
   慶長比ヨリ毛利家代々領之
      三万五千石     毛利日向守就隆
       同         同日向守元賢
       同         同飛騨守元次