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 清安寺は正保四年(一六四七)創建以来わずか四十年余りの短命であった。それ故に史料も少なく、昭和三十三年宝城興仁氏は『下松地方史研究』第三輯に清安寺について発表され最後の部分に「清安寺の存在は、一片の記録として残るばかりで、名も寺跡も知る人はほとんどない。ここに清安寺の概略を記し、後世に伝わらんことを願う次第である」として、清安寺論文にその伝承を託しておられる。はたせるかなその後わずかにして、バイパス工事のため清安院の石塔は、他処へ移転され寺敷はバイパスの畦畔となって消滅した。清安寺の他松心寺・周慶寺について、分間図から私が作成した明治二十年の寺敷周辺の図を掲載しておきたい。伝承の一助となれば幸いである。

清安寺・妙法寺周辺図(明治二十年) 左上は清安院殿・本流長意石塔図


清安寺跡地 寺敷の一部はバイパスとなり残地は原野である。