『寺社由来』寛延二年(一七四九)に既に周慶寺兼誉が上申したように疲弊した(主因は新領主毛利による寺領没収)西福寺の大伽藍に大蓮寺八世貞誉が引寺したものであるが、記されているように、大蓮寺貞誉の自力によるものではなく彼の宗風に帰依した就隆が、母堂菩提のために、既に引寺に関して権力による関与をしたものと考えている。あるいは、西福寺住職の大内時代を思う横柄な態度が就隆の気に入らなかったかもしれない。いずれにせよ多くの信者を有する西福寺大伽藍に大蓮寺を引寺することが可能なのは、就隆をおいてないからである。のち五〇石を寄せて一寺を建立、林松山大蓮寺と法名周慶大姉から麟祥山(初・林松山)大蓮院周慶寺と称している。
周慶寺の前身を時宗西福寺とし、東北三町(又はその他)の地から現地へ移転したとする説が、寺伝として唱えられるようになったのは、いかなる史料によるものか私には判らない。いずれにせよ由緒あるお寺だけに残念なことと言わねばならない。
(平成十年十二月)