近世の往還道は、各宿場と右の塩売峠のような小さな山越えを山裾でつなぎながら設定している。先に述べたように塩売峠の往還道は、秀吉が西下にあたって、膨大な兵馬を進めた路である。地域開発に遅れたためその位置も道幅も、現在ほとんど変っていない。大きく変わったのは、あたりを暗くするほどの往還松が明治以降次々と伐採され、ついに一本もなくなったことである。近世に入っては、参勤や藩主の国廻りのみならず、九州諸大名の参勤・幕府の巡見使等の公儀に至るまで、この往還道は利用されたのである。
現在はかずらで覆われているが、所有者の許可を得て駕籠建場跡に史跡保存の意味も含めて、小さな休息所(公園)を造っては如何であろうか。夏は日陰を冬は積雪を防いでくれた松も数本植えたいものである。案内板もぜひ必要である。かつては西国大名が、眺めたであろう景観を同じ場所から眺めるのも乙なものである。
(平成十年十月)