下松の地名発祥に関しては、現在北辰降臨説と百済津説の有力な二説が存在する。降臨伝説は既に『大内多々良氏譜牒』(文明十八年・一四六八・大内政弘在判・以下『譜牒』と略す)に明らかであり、百済津説は『防長地名淵鑑』(昭和六年・御薗生翁甫著)に述べられる比較的新しい説である。
しかし私は、松に星が降ったと云う説話は、交易の中で百済人の渡来による北辰信仰の突然の伝来を、後世星が天降ったと神話化したものであると考えている。勿論このような神話化なくしては、数世紀にわたる伝承はとうてい不可能である。神話は興味をそそるものであるが、成立・伝承の過程で事象を潤色し、神聖を帯びあるいは英雄を生み、非現実化するのが常である。この推論が正しければ、降臨説は百済人による北辰信仰の伝播を神話化したもので降臨説と百済津説は異説(二説)と解するべきではないであろう。