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 既に外来神(妙見)の下松に於ける成熟と大内氏の関係は、『大内氏壁書』や『譜牒』により周知であり、私も重ねて稿を起したが、右の如く宮ノ洲古墳被葬者の勢力要因を半島との交易に求めてよいとすれば『旧記』や『譜牒』の星神話は、下松の地名発祥を検討する上で、むしろ百済津説を補強することになるであろう。又唐(カラ)との交易地を唐津(肥前)と称する等そのような例は多く、降臨説と百済津説は、いままで異なる説(二説)と解されて来たが、次に述べるように両説は共通する多くの要素を含んでいることを理解すべきである。