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(二)

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 名称由来の内最も大胆な説は、古い時代森崎山付近から古川方面に流下(註一)していた河川が、突然の氾濫により現在のように流れを転じたという。切戸の名称はこの際の河川決壊(切れた流水口の意)によるとする伝説である。これは単なる伝承にすぎないが切戸川の名称については、今までにおよそ次の如き二つの相異なる見解が述べられている。

検地帳では岩崎と称せられていた森崎山も山頂・斜面が削られてこのように変貌している。

 即ち切戸川の切は開墾・新開の意であり、戸は沼地などの水流口の意であるところから、切戸川は湿地帯を新開した際の名稱と考える説がある。(『下松地方史研究』第十六輯他宝城興仁)
 勿論水流(路)や、湿地帯は開発に先だつ存在であり、新開とは田畠・堤防等の構築を称しているのであろう。このように開作にともなう地名が、のち河川名に転じたとすれば、むしろキリト(切戸)と呼ぶ方が妥当のようでもある。
  (註一)古川方面へ流下した川は、切戸川ではなく寺迫川であることは先の章で述べた通りである。