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(三)

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 又一説に切戸川の下流が湿地帯であり字柳・字切戸附近の川底が天井川状であることから、度々の堤防の決壊があり、きれる・なくなるの意からの名称とする説がある。(『下松地方史研究』第三十六輯 橘正)つまり切戸の「切」を前説では開作とし後の説では、決壊と解したことになる。
 随分と前であるが、戦後柳の堤防の一部が決壊したことがある。当時周囲は田地であってこの際川底と隣りの田圃の高さが同じであることにきづき、決壊よりももっぱらその方に話題が集中した。土手が幼稚であった時代は尚更であろう。河川を見るに字切戸附近でやや東に曲っているから、この附近に濁流が集中し、キレト(切戸)の地名が発生したことも充分頷けるところである。