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謝意

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 私は平凡な人間なので、一生を通じて一つの仕事が出来たら、それだけで幸であろうと若い頃から考えていた。具体的には、その第一が古庭園の調査や復元工事に立ち触ることで、その次が陶芸の創作や鑑定であった。又早くから郷里河内村を詳しく調べて『防長風土注進案』程度のことを、記録にとどめて置きたいとも考えていた。この方は平成に至って『都濃郡河内村明治二十年地誌』としてひとまず完成した。自分の好きなことを一生の仕事に出来る人は稀であろうが、ロクロなど未だ手で触ったことすらない。ご縁がないと云うべきであろうが造園史については、当時学会の権威であった先生方に可愛がっていただき、又最後の郷土史研究についても、よき師よき協力者に恵まれた。
 下松地方史研究会を創立された宝城興仁先生からは、ごく最近になって机上に遺された多くの資料恵与を受けた。資料の中には自筆の書写も多く私にとっては最大の形見である。「郷土史研究をたのみますで、あとのことは、若い人によう頼んじょかんにゃあ」若い頃よくこのようなお言葉で励まして頂いたものである。その私も今回還暦をはるか過ぎての改稿執筆である。
 新しい見解を発表するとき、まず相談をもちかけるのが相本高義先生である。いつもお宅にお邪魔しては、親切な指導をしていただいた。「あなたにぜひ話しておきたいことがあります」このような前置きで郷土史に関する貴重なお説を拝聴したことも度々である。
 下松地方史研究会会長の橘正先生、副会長の三井寛静先生、又下松市教育委員会の方々には文化財審議会も含めてご意見を伺うことしばしばである。折に触れての一言が貴重なヒントになったことも何度かある。
 市外では岩国徴古館に伺い当時学芸員の宮田伊津美氏から忙しき中丁寧な指導を受けた。館長清水衡氏の紹介によるものである。多くの方々の学恩に対し、深甚の謝意を述べるものである。
 尚刊行は大村印刷の山崎敏治氏の推輓によるものである。徳山営業所長の河内山哲男氏をはじめ同社の諸氏に厚く御礼を申し上げたい。