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あとがき

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 下松地方史研究会の会誌として昭和三十一年一月に第一輯を発刊して以来、昭和六十一年一月第二十三輯を出し、その間私の載せたものをまとめました。省みますに目新しい史料も史実もなく、ただ平凡な駄文を綴ったものであります。自分では一つ二つは見ごたえのあるものがほしかったのでありますが、全く不勉強のいたりであります。また第一輯以来年数がたったので、その間に新しい史料やちがった説も出、私の説にも前後の矛盾している点がありますが訂正していません。深くお詫び申し上げます。
 私は本年八十二歳になります。足腰も不自由で再度実地を踏査したい点もありますが、目も白内障になり読書も思うように出来ず、この本が私の最後の労作として発刊することになると思えば、内心忸怩たるものがあります。皆様の何かの御参考になればと存じます。
 なお、元山口文書館副館長広田暢史先生は私の年来の師で、山口図書館・山口文書館を通して多年御親切な御指導をいただきました。史料の少ない私を常に励まし導いてくださいました。また西島先生にも終始御援助いただきました。両先生に厚く御礼申し上げます。
 また岡田印刷社長さんには印刷・写真について大変御厄介になりました。平素より郷土史についていろいろと御高見をいただいておりました。このたびの発刊にあたり、印刷・写真についてはすべておまかせいたしました。たくさんの方々のお力添えによって本書を出版することが出来ましたことを重ねて厚く御礼申し上げます。
 また、次の項目について私の存命中、研究したいと思っていましたが、出来ず残念に存じます。
  1 末武村の条理の制
  2 閼伽井坊の多宝塔と花岡八幡宮の由来
  3 来巻村の嶽社と神舞の由来
  4 各指定文化財の歴史的背景について
 終わりにあたり、皆様にお詑び申し上げます。本書を発刊するに当って多年にわたり御門徒の皆様に大変御迷惑をおかけいたしました。何よりも平素の布教・伝道が不十分になったことを省み、深くお詑びいたす次第であります。
 あと余命いくばくもないことと思いますが、命のある限り仏法弘通のため全力を尽くしたいと存じます。
合掌念仏
   平成二年九月
宝城興仁