(4)市史に登場する偉人12傑

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琳聖太子長重良防長の三孝女まさ都濃郡の三孝女かや
下松公園の星の塔切山八幡宮の拝殿防長三孝女の顕彰碑都濃郡の三孝女顕彰碑
下松公園の星の塔
下松市史では架空の人物とし、地名説話にもとづく地域文化と将来展望の特性を宿す。
切山八幡宮の拝殿
宝暦年間の初め頃、大阪難波の芝居に感動。切山歌舞伎を興すことを長男三四良に託した。
防長三孝女の顕彰碑
宝暦12年~安政7年
深浦の貧農に生まれたが眼病の母の看病と治癒を祈願。両親へ孝養を尽す。
都濃郡の三孝女顕彰碑
天明5年~文久2年
家が貧しく、一生結婚せず盲目の父と病弱の母に孝養を尽くした。
弘鴻矢嶋作郎長岡外史上原乙治
弘鴻矢嶋作郎長岡外史上原乙治
顕彰碑(閼伽井坊前)
文政12年~明治36年
四鏡戦争当時、伊勢暦が入手できず「種蒔の栞」推考、藩から頒布される。
洲鼻にあった灯明台
天明10年~明治44年
徳山藩主に随伴、英国留学。日銀券発行や東京電灯(現東電)創立。
航空とスキーの父
安政3年~昭和8年
スキーを民間に普及させ、民間空港や民間航空の発展に尽した。
末武の大地主
明治8年~昭和43年
代々、教育・文化・文庫等に多額の私財を寄進。地元子弟勉学の育成。
小林武作久原房之助木原六郎橋本正之
小林武作久原房之助木原六郎橋本正之
「武作選」や「武作米」
明治14年~大正11年
逆境にあって刻苦勉励。米の品種改良に努めた。大日本農業会から表彰。
日立グループの創作者
明治2年~昭和40年
東洋のマンチェスター構想を掲げ進める。下松工業高校設立の為、県に多額の寄付。
耕地整理と温見ダム
明治24年~昭和32年
末武川洪水対策も含め、ダム建設推進や養鶏の普及、鶏卵煎餅も開発。
離島架橋の山口県知事
大正元年~昭和51年
離島の多い島嶼県にあって、次々と離島架橋を進め、後に国政に転じた。