大内家の栄枯盛衰を紐解くには妙見大菩薩並びに聖徳太子様と琳聖太子様「百済国第三皇子」との関係を究明する事が妙見様を皆様に御理解して戴く一番早道かと思います。妙見大菩薩様の御誓願、それは諸の国土人民を救済せんと大誓願を発し種々方便の時七星と顕れ或は親友と化して人々を善道に導き常に一千七百の大眷族を遣わし国土の災患を除き人民の諸願を満ぜしめ給ふとあり。北斗念誦軌に「是の如く供養する時は八女及び一切眷属現身して随意奉仕し無量の願求めを成就し惹位即を得何に況や世間少々の官位栄耀をや若し寿命を求めは定業の籍を削り還って生籍に付す若し諸国王、王子、大臣後宮等、自の宮中に於て曼荼羅を作し如法に護摩し礼拝供養すれば北斗八女皆大歓喜す故に久しく勝位に居て常に安楽を受く百官上下和穆して非法を行せず人民熾盛にして稼しよく豊饒なり国土安寧にして災難あること無く異怪を現せず疫病死亡起らず境内怨敵郡賊自然に退散す云々」古来妙見尊を信仰する貴賤男女各々其の分に隋って所願成就せずと云ふ事なしとあります。人皇三十四代推古天皇の御宇三年九月十八日、青柳浦大星天降りてこの大星を洲屋大神とし祠を建立し祀った。推古天皇五年秋琳聖太子桂木山嶺に御霊を移し、九月九日琳聖太子御参籠ありて百済国より将来の妙見菩薩像を納め北辰星供を修す、是れ日本に於ける星祭の嚆矢であります。明治五年の廃仏毀釈の制度が敷かれ、妙見宮は妙見社鷲頭寺として神仏混淆の社寺として明治十二年十二月初旬、現在地に妙見菩薩像及び其の他の尊像宝器現在地に遷し祀ったのであります。小納昭和四十三年より十三年間当寺に在住し妙見様と共に過し、其の間参詣の善男善女の諸願を御祈念し本尊様の加護を戴き参りました。老年となりその任にあらざるを感じ、後任住職杉原孝俊師に委職す。今度一冊の史書として発刊する由、皆様に多大なる感銘を与える事と存じます。大内文化の発祥の地、周防地区に在住の皆様の一読を乞う次第です。
前住職 寺澤大英