(一) 妙見さま

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 下松市中市の妙見さまは、日本の古代史の中に時に顔をのぞかせる。
 古い時代の神道と仏教の書物の中に下松の妙見さまが出てくる。
 もちろん、下松市の地名発祥の由来そのものであり、不思議な歴史をもっている。
 また、最近問題になっている鏡も出土しており、調査すればするほど不思議な地であり、偉大な人物、百済国の王子琳聖太子さまが妙見さまの後から見えかくれされるのである。



 将来のことではあるが、大内氏がかなえることができなかったこと、百済の地に琳聖太子像の造立をと考えている。
 妙見さまと琳聖太子さまが日韓友交の礎になるとお考えならば、かならず実現するであろう。

未来の妙見宮の姿


未来の妙見宮の姿

 私は、不思議にも京都仁和寺の本山より、妙見さま御降臨の御縁日、九月十八日の前日、昭和五十六年九月十七日付にて妙見宮鷲頭寺の住職に任命されました。
 この寺に御縁をいただいたのは三年前のやはり九月中頃であった。
 しかし、この寺にくるべく霊的な縁は、五、六年前より始まっていた。

空より見た下松市