(1)妙見宮鷲頭寺縁起

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 時に、推古三年九月十八日、周防国都濃郡鷲頭庄(下松市)青柳の浦に忽然として、天より赫々たる大星降って松樹の上に留って、七日七夜、光明を放つこと満月のようであった。

妙見さま降臨の絵


鷲頭山旧記

 国中の諸氏大いに驚き、奇異の思いをいたすと、坐人に託して宣、
 〝我は是、北辰妙見尊星なり〟
 今より後三年して三月二日に百済国の琳聖太子此国に来るべし。
 このことを聖徳太子に告げて、彼の琳聖を此の国に留むべしと告げ玉ふ。依って此の旨を京師に奏聞しぬ。
 一方、百済国の璋明王の第三の皇子琳聖太子は北辰を敬拝すること年久し。
 一夜の夢の中に老翁来て告て「東海に国あり、名て日本と云う。其の国の皇子を聖徳太子と云う。即ち、生身の観世音菩薩の化身である。
 ここに到って王法を改め国家を治めしむべし。吾れは即ち北辰なり」と、夢めさめ玉いて琳聖太子、これより渡らんと思いしところ、日本より吉備羽嶋が王使として百済国へ渡られ、北辰降臨の由を申し奉り、皇子を日本に迎えたいと百済国王に申したので、琳聖太子は大いに喜んで、百司百官を卒いて、龍頭の船をかざり、遙に波濤を越えて推古天皇五年三月二日に周防国佐波郡鞠生(マリフ)の浜(防府)に着船し玉ふ。後に多々良浜と名く。

天井絵


妙見さま日本渡来の絵(天井絵)