(5)日本最初の星祭り

28 ~ 29 / 115ページ
 推古五年九月九日より、琳聖太子は新しく完成した宮ノ洲の宮殿で、百済国より持ち来たった北辰尊星の御神体を納め、日本において始めて北辰星供の修行をなされた。
 是より、北辰妙見尊星と称し奉り、九月十八日に星祭りが盛大になされた。
 それより以後、妙見さまのお祭りは九月十八日と定められました。
 そして、妙見さまを鷲頭の庄の氏神と崇敬し、降臨松の由来を以て、青柳の浦を改め降松(下松)となりました。
 琳聖太子は多々良の宮殿と宮ノ洲の宮殿にそれぞれ僧侶と家来をおき、民衆の安らぎの宮になるべく指示されました。
 九月十八日の大祭がすむと琳聖太子は大星降臨の予言の約束をはたすべく灘波の聖徳太子のもとに行かれた。
 琳聖太子は灘波の生玉の宮を住居と定め、その宮に妙見さまをお祭りし、これから聖徳太子がなされようとする日本の政治・宗教の基礎固めの仕事がはじまる。

かなえの松