(7)―北斗北辰霊府七十二道を聖徳太子に伝授―

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 その後、璋明王の第三の御子・琳聖太子は北斗七星の御生御玉を我が日本に持ち渡らせ玉ふ。
 則ち、妙見宮の御神体として納め玉ふ。
 先に有りし漢の劉進先生より孝文皇帝へ、北辰妙見霊府の行法をさずかり玉ひて唐土へ弘め玉ふ。
 百済国の天子・御代に霊府の行法を祭らせ玉ふ。
 琳聖太子生身の観世音、伝授として、我が日本に渡らせ給ふて、聖徳太子へ御相伝あり、これ霊府の行法なり。
 ここにおいて、我が朝・王城の四方に北辰妙見尊星王を祭り玉ふて、日本六十余州に霊府の法が広まった」と書かれている。