(13)七佛神呪経と妙見さま

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 七佛神呪経には妙見さまのことについて、「我北辰菩薩を名けて妙見と曰ふ、今神呪を説き国土を擁護(ようご)せんと欲す、所作甚だ奇特の故に妙見と名く、閻浮提(えんぶだい)(此の世界)に處し、衆星中の最勝神仙中仙菩薩の大將廣く諸群生を済(すく)ふ」云々と。

妙見さま

 神儒仏の調和の主、北斗七星は、神道では天御中主神と呼ばれ、儒教では太一神と敬まわれ、仏教では妙見大菩薩として帰依された。
 琳聖太子は聖徳太子に百済国の全ての学問・知識・制度そして、最先端の精錬技術をも日本に伝えた。
 今なお、精錬すなわちタタラという呼び名を日本に残している。
 聖徳太子はこれらの努力に対して琳聖太子に多々良の姓をさずけることになる。
 大和朝廷は、この時期になると、神道によって王臣の系譜を明確にし、儒教によって、政治・道徳の基本を定め、仏教に帰依することによって、政治・道徳の実践を考えた。