(14)下松・茶臼山に上宮建立

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 琳聖太子は聖徳太子を助けるとともに常に下松妙見社(宮)の発展を考えておられた。
 推古十一年には冠位十二階位が全国に制定された。
 その年、下松の高鹿垣嶺(たかせかきみね)(茶臼山)に上宮が建立された。
 そして、その年の秋、桂木山(宮ノ洲)に閼伽井坊が建立された。
 これが後の鷲頭寺になる。
 年代を考えると、上宮並びに閼伽井坊の建立には、聖徳太子の絶大なる保護があったように思える。
 上宮・中宮・下宮・閼伽井坊建立で妙見さまの宮殿が完成された。
 高鹿垣の嶺に星宮を建立、これを上宮といい、御霊(おんみたま)は北斗七曜石と七宝の玉を納め、お祀りされた。
 また中宮には、妙見菩薩をお祀りし、日本国の鎮護とし、日本の平和の神とされた。また、下宮には、上宮・中宮の御神体である御霊を勧誘した。

亀(本堂入口)


竜(本堂入口)


竜(本堂入口)


鳳凰(本堂入口)

 推古十二年には憲法十七条も全国に発布されることになった。
 これにより、妙見さまの予言どおり、はるばる百済国の地より渡海した意義が十二分に成就した。
 聖徳太子と琳聖太子は、この盛挙を心から喜ばれた。
 推古十三年には推古天皇・聖徳太子より、これらの働きに対して、琳聖太子に多々良の姓がおくられた。
 だが、まだこれらの制度・思想をいかに日本中に浸透させるかの大きな仕事が残っている。