推古十一年には冠位十二階位が全国に制定された。
その年、下松の高鹿垣嶺(たかせかきみね)(茶臼山)に上宮が建立された。
そして、その年の秋、桂木山(宮ノ洲)に閼伽井坊が建立された。
これが後の鷲頭寺になる。
年代を考えると、上宮並びに閼伽井坊の建立には、聖徳太子の絶大なる保護があったように思える。
上宮・中宮・下宮・閼伽井坊建立で妙見さまの宮殿が完成された。
高鹿垣の嶺に星宮を建立、これを上宮といい、御霊(おんみたま)は北斗七曜石と七宝の玉を納め、お祀りされた。
また中宮には、妙見菩薩をお祀りし、日本国の鎮護とし、日本の平和の神とされた。また、下宮には、上宮・中宮の御神体である御霊を勧誘した。
亀(本堂入口)
竜(本堂入口)
竜(本堂入口)
鳳凰(本堂入口)
推古十二年には憲法十七条も全国に発布されることになった。
これにより、妙見さまの予言どおり、はるばる百済国の地より渡海した意義が十二分に成就した。
聖徳太子と琳聖太子は、この盛挙を心から喜ばれた。
推古十三年には推古天皇・聖徳太子より、これらの働きに対して、琳聖太子に多々良の姓がおくられた。
だが、まだこれらの制度・思想をいかに日本中に浸透させるかの大きな仕事が残っている。