(17)妙見さまの神言(訓旨)

48 ~ 49 / 115ページ
 推古十八年、隋の煬帝は高句麗征討の準備にかかる。
 推古十九年には百済国の王・武王は使者を隋にやり、百済・新羅・隋の三軍で高句麗をせめた。
 しかし、高句麗のまもりは固くおちることがなく、そのうち和睦することになる。
 そのような時、琳聖太子は推古天皇より推古十九年に宝冠をいただいた。
 もちろん、それは今までの功績に対する贈物である。
 お礼として、琳聖太子は自分の住居でもある〝生玉(いくたま)の宮〟にて北辰尊星供を行じ、天皇の玉体安穏(ぎょくたいあんのん)を祈るのであった。
 これより一千年あまり多々良氏に神言なる訓旨がさずけられる。
 『昔し、尊星太一神(妙見さま)天降り玉うとき、数々の神制を示めし玉ふ。もし、神制にそむくときは、其の家、其の人必ず滅すべし』と神言をさずけられた。
 これは、多々良大内家の家訓であり、神言になった。
 一千年後、妙見さまの神言にそむき、大内家が神言のごとくなる。
 この時の有様は後に書くことにする。