琳聖太子は舒明(じょめい)天皇の御宇に灘波に百済の仏師をまねき、仏師から仏像の造り方をならい、自ら推古天皇と聖徳太子の尊像を彫刻される決心をした。
舒明五年に琳聖太子は自ら彫刻された推古天皇・聖徳太子像と、御自分の像と虚空蔵菩薩を下松の妙見社(宮)に持ち来たり、妙見社中宮に妙見さまの左脇に、推古天皇と聖徳太子像をおまつりし、そして御自分の像を右脇に、千手観音像をその右側にそれぞれ安置された。
また、虚空蔵菩薩像を上宮にお祀りし、王城鎮護・国家安泰を祈願された。
(21)妙見社(宮)に仏像造立