(22)百済大寺建立

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 推古天皇の死後、蘇我蝦夷は郡臣とはかり、聖徳太子の子、山背大兄王を遠ざけ、敏達(びたつ)天皇の子、田村皇子を即位させ、舒明天皇とした。
 即位後、百済川(曽我川)のほとりに皇居をつくった。
 百済川のほとりには蘇我氏の本居があり、その北に百済の地があった。
 西国の人々に百済宮を、東国の人々には百済寺をつくらせた。
 百済寺は天皇の発願によって出来た大寺院であった。
 そして、天皇は舒明十三年(六四一)に百済宮でなくなった。