(23)聖徳太子の子孫、山背大兄王家の滅亡

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 長く生きるということは悲しい事や苦しい事に出会う機会を多くする。
 琳聖太子は、舒明十三年(六四一)に聖徳太子の御子である山背大兄王一族の滅亡に会う。
 蘇我家の専横が一段とはげしくなり、蘇我入鹿は斑鳩(いかるが)宮にいた聖徳太子の子、山背大兄王一族を亡ぼしてしまった。
 「補闕記」に「太子の子孫、男女二十三王、罪なくして害せられる」と書かれている。
 これにより蘇我氏に対する不満がたかまり、中臣鎌足を中心とする反蘇我氏の動きが活発になった。