(2)七佛妙見と多々良家七代

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 琳聖太子七世の孫、多々良正恒の父は阿津太子で、母は長門国の国司の娘であった。
 多々良正恒は七佛妙見の信仰を多々良七代にあてはめ、妙見信仰と多々良家を思想的に大成させることになる。
 多々良家初代琳聖太子の本地を虚空蔵菩薩に配し、二代目・琳龍太子の本地を観世音菩薩に配し、三代目・阿戸太子の本地を文殊菩薩に配し、四代目・世農太子の本地を普賢菩薩に配し、五代目・世阿太子の本地を薬師如来に配し、六代目・阿津太子の本地を釈迦如来に配し、七代目・多々良正恒の本地を大日如来に配した。
 この思想は弘法大師の真言密教の中から芽ばえた。
 正恒は琳聖太子の流れを真言密教によって妙見信仰の確立をはかった。

阿字の絵


五大明王

 そして、妙見さまを大内家の氏神として祀り、多々良七代を妙見大菩薩の生れかわりだと考え、七佛妙見とし、北斗七星の一星、一星の化身佛ともした。
 以後、大内家は、七佛・七代・七年という七という数を大事に考えた。
 大内家の基礎は多々良七代の尊霊の上にきずかれた。