(3)多々良正恒、宇多天皇より大内姓を賜う

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 宇多天皇は信仰心の厚い御君で、後に仁和寺(真言宗御室派)の法皇となられ、天皇として、日本ではじめて僧侶となられた方である。

宇多天皇(寛平法皇)

 天皇の御父君は光孝天皇で、信心家であり、仁の帝(みかど)といわれた。
 光孝天皇の菩提をとむらうために造られた寺が仁和寺である。
 はじめ、宇多天皇は臣下になられ、源(定省(さだみ))の姓になられた。
 しかし、光孝天皇が亡くなられる前、仁和三年八月二十六日、定省親王を皇太子に立てられ、同日、五十八歳で崩じられた。
 この日、皇太子は皇位を承け継ぎ、第五十九代宇多天皇として十一月十七日大極殿において即位の儀が行われた。
 宇多天皇、寛平元年(八八九)一月一日、斎中(ときなか)親皇が元服された。
 宇多天皇、五月十三日、高望(たかもち)王に平朝臣(たいらのあそん)の姓を賜う。
 一方、妙見社鷲頭山旧記には『人生五十九代宇多天皇寛平元己酉悪星出現而天子有御悩琳聖太子七世之孫正恒家命於禁中奉修北辰星供因兹御悩静也天皇有叡感正恒賜大内氏并周防国都濃郡、佐波郡、吉敷郡之三郡也』と記してある。