(5)氷上山妙見社と興隆寺

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 日本に於ける氏神信仰は天皇家を頂として、藤原家・大伴家・佐伯家等々にあり、氏神信仰を広めることによって自己の勢力の拡大をはかった。
 大内家もその例外ではありえない。大内家の氏神信仰は大内茂村(大内氏四代)の時、下松の妙見社の妙見さまの御分霊を山口の氷上山にお祀りすることからはじまる。

妙見さま御分霊


氷上山妙見社の絵(山口市)

 大内茂村は天台宗の古刹である氷上山の興隆寺に下松の妙見社の御分霊を大内氏の氏神として勧請した。
 その後、興隆寺は大内氏の氏寺となり栄え、氷上山の妙見社はおおいに栄えた。
 その後、応安七年(一三七四)に大内弘世(大内氏十七代)によって上宮が建立される。
 妙見社の境内には、今なお大内氏のおもかげの朝鮮鐘が残っている。

朝鮮鐘 山口市妙見社

 この銅鐘は大内義隆(大内氏二十八代)が享禄五年(一五三二)に寄進したものである。
 この鐘を打つと氷上山全体にひびき、ありし日の大内文化がよみがえってくる。