目次
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(五) 妙見さまと毛利氏
(3)白亀の出現
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その後、文化二年(一八〇五)権大僧都恵實法印の代に護摩堂(観音堂のこと)を再建、同三年七月、中宮社大番固屋を始めて建立。その外に大般若経の再興、神與の彩色、樓門の修覆等々の細事にいたっては数えあげることができない。
文化八年(一八一一)八月四日、妙見川に白亀が出現して奇瑞をあらわした。
白亀出現の絵
白亀の甲羅 妙見川
亀は妙見さまの使者であり、現在、本堂内に大切におまつりされている。
妙見さまの使者、亀池の亀
同十三年三月二十一日、妙見社釣鐘の鑄替を行い、翌十四年二月十八日、江戸の徳山藩主邸内に北辰妙見尊星王を勧請奉祀された。
当時の宮司は権大僧都恵實法印で大檀那は毛利大和守就壽であった。
しかしその数十年後、妙見宮鷲頭寺遷座の大事件がまちうけていた。