竜の絵(本堂)
四季の絵(本堂のフスマ絵)
また、昭和五十七年五月には長門市の岡田和好氏より大黒天の寄進があり、岡田清・悦子御両親より大黒堂の寄進がおこなわれた。
大黒さまと七福神絵図(大黒堂)
絵馬祈願(大黒堂)
同年十二月には参道に赤い吊燈籠がさがり一段とおごそかになった。
昭和五十八年五月より本堂の天井を修復し、豊浦郡菊川町の日本画家清水勝一氏に琳聖太子渡来絵図と妙見宮鷲頭寺の歴史絵を書いていただき、昭和六十年三月にようやく完成する。
又、現住職が昭和六十年、四十二歳の厄除のため、昭和五十九年十二月吉日、厄除観音厄除大師の厄除堂を建立。
京仏師北宗俊氏によって厄除大師、厄除観音の像が昭和五十九年十二月吉日に完成。
また一方、大黒天寄進がきっかけにて昭和五十八年十一月十七日、周南七福神の霊場が開創された。
寺の盛衰も人間の浮き沈みと同じである。
寺も人と人との縁の糸にあやつられている。
昭和五十八年七月十二日、韓国の僧侶・申法印住職が来寺する。
金先生と総代(怒龍松の前にて、昭和58年7月12日)
申法印住職は、元百済国があった忠清南道、天安市にある覚願寺の住職である。
大仏建立(1979年5月31日) 申法印和尚(護国覚願寺住職、旧百済国)
何年か先には、かならず韓国から大妙見菩薩像が来寺する。
日韓の友好仏として、当妙見宮鷲頭寺に鎮座される。
寺も、やはり住職が本尊の御神示にどれだけ努力し従うかにかかっているように思えてならない。
昭和六十年四月七日の愚僧の晋山式には、申法印住職も来寺され祝ってくださる。
この日のために、妙見さまの歴史を書きたいと念願し、二年間の歳月が過ぎました。しかし晋山式を機に一冊の本にできますこと一重に妙見さまと琳聖太子の御加護と深く感謝しております。
ただ、私はこれから妙見さまの御神示に従い妙見宮鷲頭寺の復興を精一杯させていただくのみです。