二、妙見菩薩の霊験

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 さて、この妙見北辰菩薩はすべての菩薩に勝れて霊験利生があることによって、神咒経の中に、「※菩薩之大将にして諸菩薩に光目として昿(ひろ)く群生を済(すく)う」と説きなさっている。菩薩の大将とはこの妙見菩薩にたとえると、諸軍の中において大将軍のように、すべての衆生を救おうとして、多くの菩薩を引率して、その魔軍の中に降りなさり、すべての魔を追い払い、すべての災難を救いなさったという。大将軍は後漢書の百官志の中に、「将軍は常に置かない」という。本註の中に、「背叛者(そむきそむくもの)を征伐することをつかさどることは三公(さんこう)に同じ類の者四人つまり、第一大将軍、次は驃騎(ひょうき)将軍、次は車騎将軍、次は衛将(えいしょう)軍である。また、前後左右の将軍でもある」と。事物紀原の五の中に「周礼に天子は六軍、軍ごとに万二千五百人、その将はみんな命卿(めいけい)である。晋の獻(けん)公より三軍を作って獻公自ら上車の将である。だから将軍の名が出て来るのである。日本でも左右の近衛大将の官があり、同じように中将、少将の官がある。」と。さて、諸菩薩に光目としてということは陀羅尼(だらに)雑集の中に、「諸天(しょてん)に光目とあって、どれもその上首としてという意味である。菩薩とは賢首がいうには菩提などでは覚(さと)りといい、薩〓らには衆生という。智をもって上(かみ)菩提を求め、悲をもって下(しも)衆生を救うことを菩薩という。大体に仏も菩薩も羅漢もみんな通常の人間であって、悟りを開いたものをいう。仙人も同じである。みんなこの心性を悟った人である。