四、神咒とは

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 さて神咒とは心経疏(しんきょうしょ)の中に、「障(さわり)を除(のぞ)き虚(きょ)でないものを神咒とする」とある。さて、ここに誦咒の軌則(じゅしょうのきそく)がある。
 神咒経の中に、「咒(しゅう)を誦(じゅ)すを五〓(ごへん)、縷(いとすじ)七色結んで三結(みむすび)を作(な)し、痛(いた)む処に繋(つ)けよ」、と説きなさることは、もしこの神咒を抱いて、そして七色の縷(いと)を加持し、結んで三結とし、その痛む処に繋(つけ)るとしたら、すべての痛は治り、それは神力妙用であるというのである。神咒を演密鈔(えんみつしょう)の中で、「神咒または真言、または陀羅尼ともいう。ただし名義が違っていても、みんな密蔵(みつぞう)に属している。」とある。秘蔵記(ひそうき)の中に、「咒は仏法がまだ漢の地に渡らない前に、世間に咒禁(しゅうきん)の仙法があって神験をよく発揮し、災患を除き、種々の妙を現わす。いま仏の陀羅尼神咒を念ずる人もこのようである。だから咒といっている。」という、そもそも仙家にはいろいろと霊妙な符咒(ふしゅう)があった。これを神符とも霊符(れいふ)とも宝符ともいう。仙家の符書(ふしょ)は五百余巻もあるが、日本にはまだすべてのものが来ていない。仙書に「神咒を祝(しゅう)とも祝由(しゅうゆ)とも咒詛(しゅうそ)とも咒由(しゅうゆ)ともいう」とある。みんな咒(まじな)うと読んでいる。素問(そもん)の中に、「古(いにしえ)の病を治す者はただその精を移し、気を変えようと祝(まじの)うて治す」という。また日本では神代の巻の中で、「大己貴命(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が、禁厭の法(まじないののり)を定めなさった」という。また、日本書紀巻の三の中で、「神武天皇が夢の中で天神(あめのかみ)が訓(おし)えていうには、厳咒詛(いづのしゅうそ)をせよ。このようにすると虜(あだ)は自ら平伏してしまうだろうと天皇は敬(つつ)しんで実行なさった」という。咒詛(しゅうそ)をかぢりと読んでいる。仏家の加持(かじ)は大日(だいにち)経義釈第一の中で、「神変加持は旧釈では、あるいは神力所持(しょじ)、または仏所護念(ごねん)ともいう」とある。
 演密抄(えんみつしょう)の中で、「義をもって、いわば仏加被(ほとけかび)の力をもって行者(ぎょうじゃ)を任持(にんじ)して除災與楽(よらく)にさせられる。だから法師は咒を誦(じゅ)して病者の除災を祈ることを加持という」とある。仙仏神(せんぶつしん)が三教一致であることや、神咒経による七色の縷(いと)を咒(しゅう)することなどは、およそこの七仏八菩薩神咒経に多く記されている。第一惟越仏(ゆいおつふつ)より第七釈迦牟尼仏をはじめとして、第一文殊師利(しと)菩薩より虚空蔵(こくうぞう)観世音あるいは釈摩男(しゃくまなん)菩薩などに至るまでその神咒ごとに各縷(いと)を咒(じゅ)して、痛処(つうしょ)に繋(う)けることを説いている。
 さて阿難比丘(あなんびく)の神咒より巻の一の終りに至るまで、このことは記されていないが、巻の二の始めの文殊菩薩の神咒より巻の二の終りまで、また巻の三の始めより終りの〓波羅龍王所説(おうはらりゅうおうしょせつ)の神咒に至るまで、みんなこの事を説いている。だからといって、すべての神咒は、ただ病だけを治す神咒と思ってはならない。持念すれば種々の霊妙があるものだ。北辰妙見はこの胡捺波の神咒を過去の諸仏に授かりなさっており、その結果種々の神変や奇妙が現われ、種々の神通自在を得なさったが故に、神咒経の中で、「この大神咒、すなわち過去四十億恒河沙(ごうがしゃ)の諸仏が説きなさるところで、われ過去において諸仏の得たものに従って、この大神咒力を説きなさることを聞く」とある。
 この「億」には、四等(よしな)があり、「十万」も億という。百万も千万も万々もみな億という。いま、いずれの「億」を言うかはわからない。恒河沙(ごうがしゃ)は〓伽(ごうが)である。玄応対法論(げんおうたいほうろん)音義の中で、「〓河は河の名である。その大河の沙(すな)の数をもって諸仏の量なき数をたとえている。北辰妙見菩薩は右のような諸仏の所において、胡捺波が大神咒を説きなさることを聞きなさった。その大神咒力によって娑婆世界で大国師となって天下を治めなさるが故に、神咒経の中で、「これより以来、七百劫(ごう)を経て、閻浮提(えんぶたい)に住んで大国師となり、四天下を治めなさる」と説きなさった。「七百劫」とは、劫は梵語で、くわしくは劫波(ごうは)という。翻訳して分別時分という。年月の多いことを劫という。「閻浮提(えんぶてい)」とは前に説いた通りである。「四天下」とは須弥の四州をいう。阿含(あどん)第十八または翻訳名義集にくわしい。いわゆる四州とは東弗婆提州(とうほうばたいしゅう)、南膽部(なんたんぶ)州、西瞿耶尼(さいくやま)州、北欝単越(ほくうつたんおつ)州である。北辰妙見菩薩は四州を治めて大国師となり、すべての国土を擁護し、万民をすべて守護しなさってその国々の帝王の政事をたすけ、怨敵を退けなさったが故に大国師といわれた。国王の師範という意味である。
 僧史略の中巻国師章(こくししょう)の中で、「昔尼〓子(にけんし)をその国の王が封じて国師とした」とある。また漢の北斉(せい)の僧法常(ほうじょう)を尊んで国師とし、唐の粛宗(しゅくそう)帝南陽の慧忠(えちゅう)禅師を国師とした。日本の東福寺の円爾(えんに)を聖一国師とし、その余宗にも多く国師があった。また太公望を周の武王が尊んで国師とした。その他は記し尽くすことができない。みんなこれを尊んでその王は国師と称しなさった。また仙家には天師というものがある。龍虎(りゅうこ)山の歴代を正一品(しょういっぽん)天師と称するようなものである。